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自由に束縛されることについて。

April 4, 2016

 今日はクリエイターらしく『自由』というテーマについて。

 

 例えば紙と鉛筆を渡されて、「絵を自由に描いてください。何を描いてもいい。条件は『自由であること』のみです。」と言われたとします。皆さんは何を描くでしょうか。

 

 実はこれ、繊細な感覚を持っている人ほど、何も描けないことに気付きます。

 

 「紙の真ん中に丸を描いてみようか。」「いや、真ん中というのはどうもありきたりで、『自由』ではないような気がする。」「では、少し左下にずらして描いてみようか。」「丸というのもありきたりだから、名前のついてない形がいいな。」等と考えて、何だかよくわからないこちゃこちゃしたものを描いたとします。そしたら右上のスペースが気になり始めます。「では、ここに何か描こうか。」「いや、このスペースが気になっている時点で、『自由』ではないな。では他の場所に……」

 

 果たして、こうやって完成した絵は、「自由に描かれた絵」でしょうか。

 

 僕は違うと思うんですよね。これはもう、「自由に束縛された状態」。束縛されている時点で、自由ではないんですよね。人間というのは、自由であればあろうとするほど、束縛されていくんです。矛盾しているようですが。

 

 では、何も考えずに、その時に描きたいと思った絵、例えばミッキーマウスなんかを書けばそれは自由なんでしょうか。何だかそれも違う気がします。

 

 

 

 では「自由」とは何か。

 

 

 

 結論からいうと、「枠組みをほんの少しはみ出すこと」です。ありきたりな言葉ですが、この「枠組み」というのと、「ほんの少し」というのが重要でして。

 

 もう一度、思考実験してみましょう。紙と鉛筆を渡されて「自由に四角形を描いて下さい。四角形であればどんな四角形でも構いません。」と言われたとします。これだったら、大体の人は、みんな描けると思うんですよ。正方形を描く人もいれば、長方形やひし形、台形なんかを描く人もいるかもしれません。

 

 だけど中には、はたと考える人がいるんです。

 

 「四角形とは何か?」

 

 「ここでいう『四角形』とは、数学的な意味の四角形なのだろうか?」「いやいや、そんな厳密なものの言い方ではなかったぞ。」「だとしたら、ちょっとルーズなものでもいいんじゃないだろうか。」

 

 そう考えて、ほんのちょっぴり角が丸まった四角形を描きます。

 

 それを見た他の人が、「え?それOKなの?だったら自分も…」と考え、辺が若干曲がった四角形を描きます。

 

 それを見た他の人が、さらに影響を受け、さらにそれを見た人が影響を受け…。四角形の角と辺はどんどん丸まっていき、最終的に「円」を描く人が現れます。

 

 偉人です。ピカソやビートルズがそれです。

 

 枠組みをはみ出すとは、実はそういうことでして。ここで重要なのは、一番最初に円を描いてはダメだということです。「ルールに反する」という理由ではじかれてしまうから。枠組みをはみ出すには、少しずつでなくてはなりません。枠組みを少しだけはみ出すことで、少しだけ枠組みを広げ、さらにその枠組みを少しだけはみ出すことで、広げ……。

 

 つまり自由とは、枠組みがなければ成立しないんですね。歴史を塗り替えた偉人を見ても、それまでの歴史の流れを汲み取った上でしかはみ出していないんです。ダヴィンチの時代に抽象画を描いても、誰も評価してなかったはずです。

 

 はい。ここまでの話を聞くと、また新たな考える人が現れます。

 

 

 

 

 「では、その枠組みを、自分で作ることはできないか。」

 

 

 

 

 

 面白くなってきましたね。クリエイターとは、そういう仕事です。そしてこれらの考え方はビジネスの世界でも応用可能でして。

 

 長くなったので、今日はこの辺で。

 

 

 

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